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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


小説と物語のちがい

眠気とたたかいながらエントリ書くのをやめようと思いつつ、夢の中みたいなのが少しだけ甘美なのでまたやってしまう。打っている間に目がさめてしまったらこの眠気がもったいないのだけれど。読み手にとったら災難かな。

起きたらまた肩が重くて湿布をはった。同居人がはってあげると言ってきたけど、匂いをかいでおばあちゃん呼ばわりされるから断った。でも結局湿布の匂いはするのでおばあちゃん呼ばわりされて関係なかった。とはいえ、貼ってもらうのが正解だったとは思わないよ。昼寝をして起きたら生理になっていたので、そういうことかとわかった。眠いのも頭いたいのも肩の重さも今はホルモンのせいだった。

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そういえば、成長ホルモンの話を昨日きいたのだった。成長ホルモンはある程度成長が終わってからも、実は必要だということがここ数年でわかったのだそうだ。病気によって成長ホルモンがうまく出ない人たちがいて、その人たちは成長ホルモンを毎日注射する必要がある。六十歳くらいまで。そんな時期までこのホルモン(といってもどれなのかわからないけど)が必要なのだ。

その話をしていた人たちは実際的で真面目だった。立派で素晴らしい人たちなのだった。歳上の学友にあなたのために道をあけておいてあげると言われたのが、ありがたかったが違うのではという思いがまた大きくなった。そんな感じですべてから逃げているという気持ちと違和感を感じるのだからしょうがないという気持ちもある。

それはけっきょくはなまけもののわたしが(自分の中の)世間体とたたかってるだけのような。だとしたら、どっちもしょうもない。な。ただの一人上手。しかし違和感とともに、この実際的な世界には絶対になじめなくて、わたしは物語のレヴェルで世界を処理するんだと切に思ったんだった。

前回のエントリにブックマークで相手に合わせないのが小説だというコメントをもらって、ハアそうかと考えた。どの部分に対してそう言われたかは想像するが、材料をもらったら自由なので、好きなように考える。たしかに相手とすり合わせていく会話は調和であって、たいした飛躍はしない気がした。こちらの言葉がどこまでも通じず、相手の言葉がわからない、ぱっと思い浮かんだのは安部公房とかカフカみたいな感じで、どこまでも理不尽な世界を必死にもがく姿が小説っぽい気がした。あと、「会話」というところにフォーカスすると、「演劇」っぽいともいえると思った。

話は変わるが、自分が書くものについて「小説」という言葉をつかうことになんだか気恥ずかしさを感じてしまう(「小説」をつかうときには、「エイヤッ」と気合を入れて、どきどきしながら書く)。代替として「物語」をワーディングしてしまいがちだ。個人の感覚の違いといえばそうかもしれないし、そもそも両者はちがうようにも思える。

「小説」は、第一に本のかたちをしている気がする(少なくとも紙やらPCやらに記述されている)。一方で「物語」は紙に載っていなくてもよくて、昔話とか口伝もふくまれる。小説はピリピリしたりザラザラしていて、物語はふわっとつるっとしている。なんか。必死に考えたあげく、こんな擬態語しか出てこないのすごいんだかすごくないんだかわからない(けど、ちゃんと説明できてないから現代的にはすごくない)(たぶん「物語」は大分類で「小説」はその下位に位置するので、並列で語ったり代替したらいけないのだけど、それはおいといてこう感じるみたいな話をしたいのね)。

ここ最近ずっと、物語の入り口はどこにでもあると感じていたのだけど、人によっては小説の入り口はどこにでもある、と思う人がいるのじゃないかなと思った。いやしかし、(わたしにとって)「小説」がしっくりこないことがあるな。多いな。不思議だ。

そんで、一般としてはわからないけど、わたしの中では「物語」「フィクション」は中立で「間違わない」言葉なのだと思った(政治的に正しい、みたいな)。こういう無意識を繙いていく、みたいな気づいてなかった差別意識に気づく、みたいなのがけっこう好きなのだけど、これは小説的、な気がする。「小説」が苦手とわかったから、次の日から意味もなくつっかかっていく傾向があるのは嗜虐的かつ被虐的でもある。ような。自分相手にやってるのだからここでも一人上手。ね。