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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


コントレックスは戸外

昨日はちがって晴れていて、空が高かった。春。ほんとうに春。風は冷たかったが日なたはぽかぽかしていた。相対性理論びよりだと思って、すると約半年ぶりの相対性理論びよりだった。一番最初のアルバムからきいていって、初期のやくしまるえつこは失われてしまったと気づいた。歌が完全にうまくなっていた。勝手な話だけど、大いなる損失だと感じた。

そして電車を乗り継ぎ、はじめて友人の家に行ったのだった。友人は昨年の秋に結婚をしたのだ。わたしたちは3人(もしくは4人)でたまに会う仲間で、ひとりは母子だ。昨年の飲んでる途中での突然の結婚報告にえええええってなったものの、気を取り直して結婚祝いを渡すねと言ったらとんとんとん拍子に新居に招待されたのだった。

唯一の子どもがずっとずっと笑っている人で、ゲームをしては笑い、食事をしては笑い、遊ぶものはないかとくだをまき、部屋の隅にあった結婚式の名残のハートの風船が入った入れ子の風船で数時間遊び続けて笑っていた。ふわふわとしているだけのもので、あんなにも違う種類の遊びを思いつき、飽きずに延々とやっている様がすばらしく、子どものテンションも上がりつづけ、その母はため息をついていたけれど、このいつでも笑顔のところは母であるあなたにそっくりといつも思うのだよ。夫妻はこれだけで結婚式やってよかったねと笑い、やわらかな日光が射し込んでいるそれはおよそ幸福というものを絵にかいたような午後。窓の外では洗濯物がゆっくりと風にゆれていた。

帰ってきて友人宅の間取りを思い出し、一緒に住む人の部屋のつかい方を考えた。つまり、リヴィングがあり、寝室があり、すべてが共用の思想なのだった。リヴィングの本棚にはふたりの本が入っていて、「引っ越したいへんだったでしょ」と思わず言ってしまった。ふたりのものがひとつのところに来て、そこには選別があるのだと思ったらたまらない気持ちになった。

ひるがえって我が家はふたりとも個室があり、そこは不可侵である(入ってもいいのだけど)。引っ越しのときもとくにものを減らすこともなく、自室の収納にどう収めるかというところだけが問題だった。最初は部屋がまだ余っていたから、もう一人住めなくもない。やっぱりルームシェアの発想が近いのだ。

そんなのは考え方なので、どっちが正しいとかではないけれど、そういうところで我をとおしてしまうのが、なににも馴染めない原因のような気がした。と言ったって、いまさら1DKに住めと言われても発狂してしまうので、どうしようもないのだった。