紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


洗練された概念ははや二周目に

流れていく新着ブログの表示をみながら、ほんとにいろんな人がいて、その中にはわたしが思うこれぞブログ! みたいなやつもたくさんあるのだけど、いや、でも、いける、わたしもがんばれば書けるやんって思うけど、実際やってみると思いのほか難しく、それはいろんな理由があるけど、けっきょく書いてる途中で投げ出したくなっちゃうというのが大きい。ちゃんとね、問題をあげてこれまでの意見をならべて論を展開してまとめるっていうやつね。立派! それとかハウツーみたいなやつとかね。役立つ! 途中でなんでこんなマジになって書いてるんだろうと我に返ってしまうので向いていない。ので、けっきょくわたしはしがない日記書きって思うのでした。とはいえ、そういうのも書けると面白いのでチャレンジするきもちも忘れない。忘れないことを忘れないようにしよう。

そういうのを書ける人はえらい。優等生で学級委員とかPTA役員とかやってそうな気がする。立派で役に立ってる! 書くものとリアルの立ち位置はけっきょく似てきちゃうのかな。自分もね。一歩引いてやいのやいの言ってる感じもなんかなー。知ってるやつだなー。いつものやつだなー。という感じ。学級委員とかやれるやれるちょろいよと思いながらも引き受けたことのないわたしが、正統なブログなんて書けないのでした。いやはや。

わたしのあつかえる材料を広げてみたらですね、♡ゆるふわかわ♡BLOG♡もいけるはずなんですよ! だったんですよ! かわいい絵もかきますよ! ほんわかカップル事情も書きますよ!(ないから盛る!) しかし隠し切れない移り香が滲みだして滲みだしてそうさせない。オーマイ自意識! なんてことを考えたのでした。

ブログを読んでいて、この人アブないなって思うこともあって、なんか読んでくれる人もわかるといいのだけど、すごくトガっててキラキラしてて話題になったりするんだけど、流星みたいにキラッと流れて消えてしまう。記憶に残る人がいて、惜しんでいるとまた新たな輝きブログがあらわれたりする。その人たちは唯一無二なのに現象だけ見ているとそれは繰り返され続けていて。その散ってく人たちは長い目でみるとインターネットのブログという文化の歴史の中でのチャレンジ個体で、インターネット人類たちが進化して最適化される過程の中のトライ&エラーなのかなとか思ったりして(この文章長いですね)、そうしてわたしの乗ったバスは目的地近くで停まったのでした。

職場に行くとめずらしく人が多くて、その中で若い人が奮闘していたのだけど、どう見ても空回りしていて、可哀想に思ったり、こちらがフォローのつもりで投げた球もがんがん空ぶってアウトになっていく感じがあった。かれもわたしたちも不幸になってしまった。葛藤をどうあつかうかっていうのが、全員の課題だと思った。

お腹が痛いと考えながらいたら、どうやら生理になっていた。予定より一週間も早くてあせる。午後はうわの空で過ごした。昼食をとりながら、お腹はすいていないと気がついた。