紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


あの小説の中で集ろう

寒い晩には肩が重くなる。古傷のクビ・カタ・ウデこと頸肩腕ことKKWにて非情にしくしくと。言ったら肩凝り。なのですが。KKWのやつがどれほど一般的か存じ上げないのですが、診断時には学生だったこともあり、「勉強のし過ぎだね」というたぶん勘違いの医者の優しい推量がくわわり、すこし便宜を図ってもらったとかなんとか。あとからきいたらただの女好きの先生だったとか。もーやっぱそういうことばかりなので、男というやつは! ともかく完治はせず(肩凝りだしね)、それ以後も授業が詰めすぎのときにはやっぱりまたKKW(のおもにKK)が重くなり、何度も通院した思い出あり。卒業した今はもうさすがに医者にいくほどのことは滅多にないけどそれでも一度だけ行ったけど、やっぱりずっとPC見てたりするとなりますね。あと寒い時。

本日の昼はぽかぽかで、発車間際の電車にすべりこみ、それほど混んでいない車内で座ろうか立っていようか考えていたところ、三人掛けの席に座ったおばあさまが「ここあいてますよ」とのお声がけ。電車内でそんなこと言われることがあるとはと驚きながら、断るあれもなし、隣にかけて数駅の道行。なぜだか手持ちの飴をもらったりして。予想通り話好きのおばあさまで、震災のときもこうして電車に乗っていて、あの時はこの飴に助けられたという思い出話つき。それは大変でしたね、思い出の飴なんですねと頷きつつ、おばあさまが自分の年齢をカミングアウト、いえいえそんな! とても見えません! とわたし。果ては孫の健康のことまでお聞きでき、とても楽しい数分間。この電車おばあさまの目的駅まで行きませんと言えなかったことだけが心残りです。

小さな男の子が保育士めいた女性に『ベイマックス』を観た話をしているところに遭遇。「悪いやつが出た!」「お面してた!」って。3歳? 4歳? 5歳? くらいの映画体験ってどう処理されるんだろうか。まずその時点において、ストーリーを消化できるのか。将来的に覚えていられるのだろうか。『ベイマックス』おもしろいけど、未就学児には難しくないか? 幼いうちにみてもあんまり意味ないのかなと思ったりした。映画といえばで、わたしが小学生ごろに観た映画のことを書こうと思ったけれど、そういえば年齢がばれるんだなと思って、控えようと思いました。

あいた時間をみつけて小島信夫を少しずつ読んでいる。体験としてものすごく、やっぱりわたしの現実と小説が混ざってきてしまう。わたしが迷い込んでいるのか、小説が流れ込んできているのか、どちらでもいいようで、しかしどちらか確かめたい。

本当に読んでいるはしから記憶がとけていってどうしようもなく、小島もこんな感じだったのかしら。実際に起きたことと過去の作品その評記憶の中のこと想像思惑話すこと書くことすべての異なる所作がしかし渾然一体となっている。エピソードが絡み合い、誰かの感想が飛び越え縫って入ってくる。

むかし沖縄に行ったときにナントカ記念館というようなところに行って、確かそこの庭には大きな樹があって、それは沖縄か南国では一般的な植物だったと思うのだけど、地面の土がえぐれていて根の半面が裸で見えていた。それらは絡み合いお互いにお互いに寄っていて、共倒れになってしまいそうなものだが、しかしその樹は枯れずに立派に立っているのだった。その樹のことを思い出して、あの根。わたしたちが入れてしまう大きさ。そんなことを。

しかしそれでも、後期の作だったらどれでもこの感慨が当てはまる気がして、それは少し怖い。実際そんなことはないのかもしれないけれど。すべて読んでみた世界に立ってみないとそれはわからない。もっと詳しくなにか考えたいような気もするけれど。まあしかし。少しずつだ。

自転車をこぎながらそんなことを考えていて、iPodはちょうどパーティみたいな曲をかけていて、何人もが出てきて交替で歌っていた。こんな夜には物語がはじまると思った。物語といったって、その日のことを思い出して、順番に、どんなことがあったか、どう思ったか書くだけだった。目をつぶっていても大丈夫。だった。

ちょうど読んでいた短篇の最後はこうだった。

大分前からぼくは眼をつぶっていて、他人がしゃべっているような口ぶりになっていたと思う。

小島信夫『ラヴ・レター』