紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


love is ブラインド映画

そうそう、映画初めしないと! みたいなこと言いあって、仕事帰りに映画館に飛び込んだ。そんな感じだったから内容の精査もせず、ふだんからろくにしてない事前調査もおこたって。すごく無防備。

 

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こんな感じにもなる(ひどい)。

 

 いつもしているブラインド映画(今名づけた)のひとつ上いくジャンルすらブラインドな映画鑑賞は、ヒューマンなのかサスペンスなのか戦争もの? はたまたアクションなのかとなにもわからないまま続いて。頭の片隅ではジャンルを同定する作業にリソースを割きながら観るというのは新しい体験で、観てる途中映画の内容が定まらずに、ああなる可能性こうなる可能性への伏線がはられ続けているのがおもしろかった。忙しかった。つかれた。

そういう情報不足のせいなのか関係ないのかもしれないが、近ごろは受けとる物語の質が変わってきているような気がする。はっきりとは言えないが、さまざまな物語の根本が本質がだいじなところがこれまでとまったく違った重みを持ち、異なる角度で光を反射する。

それは、いま流行ってるストーリーなのかもしれないし、受けとるわたしの変化なのかもしれないし。そもそも先が読めない物語がすきなので、そういうものに当たりやすいだけかもしれないけれど。

ただ、個人的にはその質の変性をよろこばしいものととらえて、できたら自分の変性と関連付けたいと慾が出る。なにかが変わりつつあるのだ。映画を観ながら、それがずしんとわたしの心にやってきた。

しかしこういう楽しみ方がアリになってしまうと、どこまでがネタバレなのか問題が出てくる。場合によっては、監督とか役者の名前すら映画のヒントになり得る。しかしなにがしかの決め手がいる。ちっともピンと来ない映画は観に行くまい。レビューも読めない。公式サイトも予告編も見ないぞ。もうこれはフィーリングだ噂だジャケ買いだ。全然詳細じゃない誰かのtwitterとかで決めるしかない。何もいらない。「おもしろかった」とだけつぶやいてほしい。超ブラインド映画またやる。

あとでWikipedia見たら、あらすじが全部載っていてゾッとしたけど。ストーリーだけが映画じゃないんだぜとも思ったり。今度はちょっと気を抜くと『ベイマックス』の情報が入ってくるからこわい。世。