紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


木の葉は緑

洗濯をしてから、母に会いに祖母の家まで行った。祖母は蒲団の中にいて、声をかけると「おはよう」と言った。母はりんごの煮たのと黒豆を甘く炊いたのを出してくれた。家でもりんごを食べたとは言えなかった。本場のりんごは甘くて豊かだった。都会で買う果実の貧弱さには怒ってもいいと思う。テレビか新聞を見ながら、行きつくところのない話をした。「昼前に」と言って母は実家へ帰っていった。

それから運転免許の更新へ。会場はとても混んでいて、わたしが長い列に並んだあとからどんどん人がやってきた。押し出されるように受付や申請や支払いや検査や写真の撮影をこなした。職員が「一歩前に詰めてください」と何度も言いに来た。日本語を使っていたけれど、その実かれは養豚場の職員で、家畜たちに整列しろと言っている感じだった。文言だけがカラカラと宙に浮き、わたし達は無言で前に進むだけだった。

講習される教室のある建物に近づくと、スピーカーからむにゃむにゃと数字を読み上げる声がしていた。すこし変わったAMラジオかと思ったのだけれど、その謎は後で解けた。

講習は時間が随分早まっていて、予定時刻の50分前にはじまった。らしい。更新者が多すぎるので、教室がいっぱいになり次第はじめていたらそんなことになってしまったらしい。教官もやはり、宙に浮くような言葉を吐き続け、わたし達もなにも言わずにそこに座っていた。台詞がこなれすぎて、かれは漫談家のようなしゃべり方になっていた。妙な抑揚が不思議な感じを与えていた。講習のヴィデオは中途で終わり、「それでは、事故を起こさないためにはどうしたらよいでしょうか」というナレーションの問いかけだけが残っていた。

免許証を渡される会場では、交付の番号をマイクで読み上げる人がいて、その声がスピーカーを通じて建物の外へも流れているのだった。変な活気と中途半端な親しみがこもっていて、数字だけが老けていくのは、競りのようだと思った。養豚場からついに市場へ出荷のち、免許証の更新終了である。

一時間弱だれともしゃべらず、しかし周囲にはおそらく何千もの人がいたので不思議な気持ちになった。「終わったよ」と電話をかけてる人を見て、なんだかほっとする。声を出せる相手がいるのだ。わたしにも。

 

 

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少し足をのばして大きな公園まで行く。親子連れやカップルや愛犬家たちなど、人らしい人を見る。地面は黒い土が落ち葉でおおわれている。多少ぬかるんでいるところもある。それでやっとこ生き返ったような気になったのだった。

色の変わった葉のまぶしさと変わらぬ緑のコントラスト。木の葉が黄色や赤になっただけで感じるあの心境はいったいなんなのだろうね。


サイモンとガーファンクル ~ 木の葉は緑 - YouTube

こんな。これがだんだん「冬の散歩道」になるのさ。