紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


天使の夜と魔法使い

天使。わたしが天使とよぶ人のいるライブを観にいった。天使とかいってオジサンなんですけどね。天使とか神様とかなんかそんなネーミングが多いわ。ほかにもアイドルとか宝とか。アイドルは男の子で宝は女の子です。

バンドなのでもちろん他にもメンバーがいて、それも仙人とか長老とかそんな感じの人がたくさんいて、みんなが音を鳴らすのをきいて。雨が降ったり、嵐が起こったり、森の中を散歩したりしているような気持ちになってとても良い時間を過ごしたのでした。自然の中にいるような、でも単純にそれだけではなく、物語のページを繰っているような、広くて深い音たち。きいた端から消えていって、音の鳴るその瞬間だけがすべてというような現実をともなう、嘘のような音楽だった。騙されていても気持ちがいいならもーそれはいいんじゃないかなと。思う。

観客も変わった人が多くて、普通のミュージシャンのライブにいるような人、いないような人もいて、コミュニケーションとるの苦手そうな人とかね。いたね。失礼だけどね。思ってしまってね。わたしもその一員なのでね。わたしの隣にいた男女の男性の方が椎名林檎だか東京事変の昔のアルバムの話をねちっこくしてたのは笑いそうになった。平成も四半世紀すぎて「勝訴ストリップ」やら「教育」やら。わかるわたしもわたしなんだけど。

その前の日に、どこぞの小学校のブラスバンドの演奏をきいていて、それはもちろん子どもの演奏だからそんなに上手でもなくて、でも稚拙な音を出していって、将来に望む音を出せるようになるのであれば、それは素晴らしいことだと思ったのだった。

金管楽器とか木管楽器とか、馴染みがなさすぎて、でもそれなりに感動とかしてしまうので、きく前には「懐柔されないぞ!」と思って臨む。子どもたちの演奏は子どもたちなりに上手かったのだけど、それで前述のようなことを思ったのだった。でも本当に、この中でひとりでも、天使のバンドの人たちみたいに音楽を楽器をあやつる人が出たら、出るかもしれない、とそれだけで。将来性に賭けた鑑賞をしてしまった。

歌詞とか存在が「教祖」っぽい音楽家に「魔法使い」とあだ名をつけることにしよう。ほんわかとしたネーミングの森に「教祖」は不似合いだなと思う。ので。

「神様(同居人)」も「神様(固有名詞)」から解放しようかなとか考える。

 

なまえをつけて(神様、あだ名を所望する。あるいは風邪を召す) - learn to forget

 

前にあだ名をつけた話があった。そしたら神様あらため、ヒナ氏だ。かわいいな。