紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


眠気の象

たいへん眠い。一日出歩いていたからかもしれないけれど。三連休を毎日お祭りにつかった。眠気は昨日からひどいのをまだひきずっている。目蓋の上を象がどこどことステップしているみたいだ。ねむくなーるねむくなーる。一刻も早くPCを閉じて寝るべきかもしれないけど明日も夜出るから、エントリしないなーと思ってとりあえず打鍵する。

昨日行ったのは土着の祭りだと思った。わたしがそう思っただけで、その土地特有のものでは絶対ない。広場では民族楽器の演奏がされており、雑然とした出店、フリーマーケットのスペースもあった。人々はシートの上に寝そべり、思い思いに過ごしていた。祭りというよりは音楽フェスに近いのかもしれない。し、なんだかそこには信仰のようなものがあるような気がした。(おとといと今日のはいわゆる文化祭のようなもので活気や手作り感は共通するが、ある種の秩序が感じられた。)

すべてが渾然一体となったカオス。雨でぬかるんだ地面がその感じを助長した。子どもたちは気にせず走り回り、連れられてきた犬がのそのそと歩いていた。いる人たちは人間であることをやめて、原初の生物のようにうごめいて、意識を解放していた。

ひとりで行ったのが悪かったのかもしれない。一渡り眺めてから退散した。たぶん二十分くらいしかいなかったと思う。知人が出店しているというので行ったのだけど、けっきょく見つからなかったし。思ったより人出が多かった。多くの無意識にやられてしまった。説明の難しいものは体力をつかわせる。その自由な空気の中で息が吸えたらとも思うのだけど。

昔に連れて行かれた集会のことを思い出す。託児所があって、わたしと妹はそこに預けられた。いま思えばそこは役者の控室みたいなところだった。鏡がたくさん並んでいて、すべてに電球とスイッチが備わっていた。その時は子どもがたくさんいたように思う。手のかかる年齢の者はたくさんいて、分別のついてる方だったわたしや妹はほかの大きい子どもたちと一緒に、その部屋で勝手に遊んでいたように思う。

また別の時だと思うけど、その時は子どもたちがなにか発表するということになっていた。子どもたちは5名くらい、もしかしたら10名くらいいたのかもしれないが、集められて、曲に合わせてステージでダンスを披露すると言われた。参加するかどうかは選べて、わたしはしない方だった。他のものはする方で、振り付けを教えると言われて別の部屋に連れられて行った。わたしはひとりになって、当然心細いのだが、ステージに立つのは絶対に嫌だと思っていた。

発表の時間が近づいて、ひとりでいるわたしを見つけた小母さんが、「子どもは発表するもの」と決めつけて、わたしを他の子どもたちと合流させた。振り付けもわからぬままステージに連れていかれ、明るすぎる照明を浴びながら、わけもわからず身体を動かしたことを覚えている。一番端だったと思うが、たかが五名(もしかしたら十名)の発表で、あとで「あんまり踊れてなかったね」と言われて、とてつもなく恥ずかしかったし、おとなは何もわかってないと思った。ほかの子どもたちは恥知らずだと思った。そんなことを思い出した。

宗教ではないということだけは。それに近いもののような気もするが。

その祭りで感じた気持ちはその時のものと似ているように思う。わたし以外のすべては予定調和であり、笑っていて平和だった。自分だけが異物だった。混ぜてほしいと思うが、そんなのは勘弁してくれという気持ち。そんなことばっかりだ。

本当はもう一つの感情について書きたいと思ったが、それは別の機会にする。象の足踏みが激しくなっている。

ふと気づくと空気が一段変わっていて、冬に向かっている感じがする。もう何段かおりると冬にたどりつくのだ。厚手のパジャマを出したのと、外出時のカイロを解禁した。肩がびしびしに凝っている。少し前から腹巻もしている。

神様(同居人)もフリースを着はじめた。といってもフリースの下が半そでなのでいつもつっこむ。わたしは部屋の中でフードをかぶっていると、「エスキモー!」とよばれる。ユニクロの白いふわふわのアウターを部屋用に着ている。