紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


子どもと若い人(若い人)

承前。若い人と話すのがわりと好きだ。「若い人」とか言ってしまって、これまた加齢を感じるワーディングだけど気にしないで。ゆこう。

アルバイトの面接にきた女の子と話をした。とても話がはずみ、どうやら趣味も考え方も近いようだぞとなって、それはもう嬉しくなった。話しはじめて二言目くらいで楽しい雰囲気ただよいはじめ、それからは、頷き、そうですよね、わかるー、の応酬、こんだけ手ごたえのある会話もめずらしく、異性だったらもうアレがアレでアレしてるところである。よ。嘘だよ。手ごたえあるとか書いたけど、わかるわかるの川の流れにのっただけなので、本当はないというべきかもしれない。向こうも同じ気持ちだったと思う。思いたい。

そして、その前にした別の面接のことを思い出した。ややこしいので、気の合う彼女を彼女A、もうひとりを彼女Bとする。

彼女Bとの面談はそれほど盛り上がらなかった。Bはまっとうな女子大生って感じで、お化粧も綺麗にしてたし、かわいいスカートはいてたし、いい匂いだった。……そんな印象しかないんか。とっても、いい匂いだった。がんばったつもりだったのだけど、彼女Bの考え方とか引き出せず。ちょっとコアな趣味もきいたけど、とくに話を広げられなかった。彼女Aと比べると、壁が高かった。まーでもはじめて会った人を心の中に立ち入らせてはこの世の中渡っていけない気もするし、大体こんなもんなんだ。

アルバイトの面接という点において、会話の盛り上がりはあまり関係ないのだけど。面接者と気が合うとか合わないとかだけで、採用の結果は決まらない(はず)。一緒に働くという意味では、話が合うとか社風が合うのはアドバンテージになるだろうけれど。当たり前だけどいろんな人がいる。そもそも会社の雰囲気に合わない人とか。わたしとの相性が悪いなとか。そういう時は、別のあの人が面接者だったら上手くいっただろうなと想像できて、申し訳ない気持ちになる。

彼女Bとの面談は、反省が多かった。多いと言ったって、やり直せるわけもないのだけど。たぶん。大体の面接はAとBのふたりの間に位置するんだろうな。極端だったとしたら、どちらも反省だな。とか思って自分を慰めよう。自覚がない分、彼女Aとの面接の方が褒められないかもしれないな。えー。あんなに楽しかったのに、褒められないなんて結論に。(個人的には満点に近かったと思うけど、個性と個性の話だから、やっぱりあくまで個人的な採点でしかない。)

ほんとは「子ども」のことと合わせて、なんか上手いこと書くつもりだったのだけど、思った以上にまとまっていなかった。結論も変わってしまった。ワオ。

若い人は、ふわふわしてて、変われる可能性をギリギリ持っている。ところが好きだ(既に老成してガチガチの人もいるけど。それはそれで面白いから好きだ)。それまでに培ってきたものを固めようとしてて、でもそこに新しいものを入れ込む余白もある。実はたくさんある。その人自身も変化を怖がっているような楽しみにしているような危なっかしい感じだ。脱皮していくそのさまを、わたしはわたしの目で見ていたい。実際には難しいのだろうけど、自分がふれる一瞬だけでもと、できる限り観察してしまう。だから、できるだけたくさんの話をききたい。引き出したい。わたしが日々のこと自分のことをウェブログに日記に手帳に記述しているのも同じ感じなのかもしれない。採用の面接ってことだと、あんまりよくないのかもしれないけど。面接者の役得だ。よ。

予想外に気持ち悪いことを書いてしまって愕然としている。筆がすべってしまった。変態だ。脱皮を見たがる変態がここに。大人も大人で面白いと思っているので、生きているかぎり興味は尽きないナァと思っている。ことだ。

★ 

前エントリ。関連させるつもりだったけどそんなでもない。

子どもと若い人(子ども) - learn to forget

余韻を胸にして帰宅。楽しい気持ちだった。思い出すと口元がほころぶ。夜になっても空は明るい。濃い青に、つらなる雲の形がよく見えた。暗さとグレーが混じった雲の色。切れ切れに空を覆っていた。都会は星が見えないなんて嘆いたりもするのだけれど、街に照らされた空の群青を好ましいと思ったのだった。

そんでその日は神様(同居人)がおでんをつくりすぎていた。

f:id:letofo:20140926231519p:plain

もち巾着。いつもながらの詭弁がひどい。