紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


それは融和の物語

昔いた大学のゼミに顔を出してきた。行く直前にスタバに集合して、テキストを慌てて読んで、「とんでもないねー」なんつって。お菓子を差し入れに。

毎年恒例の行事なのだけど、今年のゼミの雰囲気は「融和」っていう感じだった。これは年々増加の傾向にあって、平和は平和でいいのだけど、その分見えない緊張感みたいのが高まっている気がする。

予定調和のゴールが決まっていて、それに向かって、窺いながら発言したり質問したりする。大間違い探し大会だった。でも繰り返すうちに間違い探しもこなれて安定感が出てきていて、内容精査はともかく、このまま間違い探し得意集団になれればいいのかなとも思ったのでした。

先日の弊社のぐだぐだ会議より百倍よかったと思ったけど、そんなんは現役の学生には思いもよらないだろうし、この瞬間を無為に消費してしまうから青春なんだなと。ああ、歳をとってしまった。

高等教育で学んだのは、自分ではどうにもならない絶対的なものがあって、それはあり続けるんだってこと。なのだ。ってテキストを慌てて読みながら思った。対峙する方法は学べても、完全に理解し、操作することはたぶん無理なのだ。文学も宗教も人間も、近いふりしてめちゃくちゃ遠いところにあった。のだ。

なんか、でも、それでよくって、知らないままに積み重ねてつながって、わたしは今文章を書いてるし、ちょっとでも近づく道を探れると思ったのだ。感じたのだ。

テキストになった話面白いよねって思って、神様に話したら温度差があって、あれっ? ってなった。

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なんかキレてたし。ちょっと寂しい。Wikipediaのあらすじはまとまっているけど、テキストはもっと混沌としていて、え? え? えー??? ってなるよ)