紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


あなたが嫌い

どこまでも高い壁が続いていて、そこには大きな文字で「嫌い」と書いてある。乗り越えられそうもない。

負の感情を出すのは難しくて、言ったとたんに自分が悪者のような、言葉がそのまま自分に返ってくるような感じがある。言う方も痛い。言われる方も痛い。できれば言われたくはない。でも、言いたくなることはある。

「好き」に理由はいらないとか言うけど(もちろん、あったっていい)、「嫌い」の理由は重要視される。理由はないとか生理的にっていうと、「論理的じゃない」って切られてしまう。「好き」に論理はいらないのに、「嫌い」には論理的な理由が必要で、説明できなかったらその「嫌い」は軽視される。「嫌い」は特別なんだろうか。それとも「好き」が特別なのかな。

 嫌いな人にどう接したらいいんだろうか。職場の人だったら、割り切って社交辞令とかはできる。でもほんとは最低限のことしか話したくない。プライヴェートだったら友人にはなれそうもない。究極的にはその人と接したくなくなる。

他の人は、表向きは雑談したりしてるけど、その人がいなくなったら「困った人だね」とか言ってる。わたしより「嫌い」の度合いが低いのかもしれない。でも、あんなに楽しそうに話してたのにね。ジョークなんかも言ったりして。

みんなが笑って話している中で、わたし一人だけ水族館の通路にいるような気分だった。みんなは水槽の向こう側を優雅に泳いでいる。暗くじめっとした空気の中、わたしはガラスも直視できないで佇んでいる。水中は優雅そうにみえて、緊張した重い雰囲気もあった。しょうがないので仕事をやめて、昼食をとった。少し離れた場所で他の人と話していると、空気は幾分軽く感じられた。

なにもないはずなのに、見えない仕切りがあるようで、わたしはどこまでも観客だった。でも、そんな劇は観たくないのよ。みんなは順番につかまって舞台に立たされる。するりするりと上手く逃げられたのは幸運だった。