紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


一年ってつまり。

ある意味当初の目的を達しているとしたら。本当は終わってもいいものを続けようというのなら。なんてことのない、障りのない日常を書くのは本意だろうか。別にいいけど。でもこれまでも、そんな「別にいい」に甘えてきたのじゃないのって思うのだ。

わたしは人に障ることを恐れてきた。傷つけることも傷つけられることも。大げさなものいいをするけれど。 こんな匿名で書ける場ですらも。読者がいて(いなくても)、表現に気をつけ、回りくどい言い方をし、注釈をいれて、誤解されないようにしてきた。実際のわたしもそうだから、癖なんだけど。

正確を期すっていったら素晴らしいけど、それが枷になることもあるし。こちらが細心の注意を払っても、けっきょく受け手がどうとるかってことになれば、受け手の技量が重要だし。十全に書いたとしたって、十全に受け取られない可能性はとても高い。普通の日記ならばこんなこと考えないのにね。

自由に感じる、考える。それはひとつの権利だ。炎上をおそれて、表現がぼんやりしたり縮こまってしまうのは損失じゃないか。少なくとも、わたしにとっては(その表現に価値があるかはまた別の話だし、炎上もしてないのにこんなこと考えてるのはなんだかね。現代病っぽい気もするけど。いきすぎてるよね)。

そういうのを恐れ続けて、だれかの心に刺さる(悪い意味でなく)チャンスを逃すのは惜しいじゃない。そういうところで差異化をねらっていきたい。誰かと混同されるわたしは嫌なのだ。というような。自分を表現するのはわたしも怖い。今までやってこなかったからね。ウェブログ一年で何十万字も書いてて、自分を表現できてないって言い張るのも病理っぽいが。ともかく、わたしはそう感じているので。とりあえずそこからスタートしよう。

まーそれでも言ったらいけないことってあるよねー。そういうのも含めて書いていくことにしようと。フォローする自分もセットだ。自分と約束だ。ウー。こんな決意とさわりだけ書いただけで胸がザワザワするんだから重症だ。いやでもけっこう書いてますよね、お嬢さんって思ったり。一人遊びみたいなものだけど、ほんとに一人だったら寂しいし笑っちゃうし、てきとーにおつきあいいただきたいです。

こんな宣言するのも恥ずかしいよねー。っていう一文がすでに保険だよねー。っていう一文が(以下略)みたいな延々と続く自分のしっぽを抑え続けるみたいな状態。最初のエントリで「これはゲーム」つってんだから、気にするなよー! って言いたいけど。もうだめだ言い訳だけでどこまでも書けてしまう。注釈の注釈の(中略)注釈だ。

色々ひっくるめて、自分の精神構造には興味ある。興味あるけど掘ってったらめっちゃつまらなかったりしてね。ありそうすぎる。できるだけ言い訳を取り去ってみるっていうのと、話題避けないでやってみるってこと。それだけ書くのにこの分量いる? ってこのツッコミも以下略。うーん、道は遠そうだよね。

神様(同居人)のこととか、ネタがあったら書くけど、どーなんすかねー。知りたい人いるんだろうか。のろけじゃんって言われたらそーなんかなー。 

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帰宅するとこんな感じで近づいてくる。

で、去っていく。

インディアンっぽい感じで。怖いな。