紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


京都の大学生

今日はくるりの気分だった。赤い電車に乗っかって、海の方へ行ったのだった。

雨の降りそうな街を窓から見ていた。体調は万全でなくて、昨晩からマスクをしてるけど、不思議に静かな気分だった。たぶん、最近忙しすぎたのだ。必要なのは余裕をもって生活をすることなのだと、あらためて思った。月の中で一週間くらい忙しい時期があって、その中にいる。しょうがないといえばしょうがないのだけど。

最近のわたしは、あの別れを歩き直してるんだと思った。それこそ何回も書いているけど。自分の中でもわもわしていたものを形にしている。でも、いろんなことを大事にしすぎてしまったと気づいた。自分の中で死んでいく記憶たち。あやふやなそれらは、半分腐って亡霊のようにわたしを取り囲んでいた(いる)。吐き出す作業をもっと早くしたらよかったのに。そして、思い出をそのまま生かしておくことはできるのか、というようなことをぼんやりと考えた。思い出はものに宿るのか、それとも心の中にあるのだろうか。

くるりをききながら、考えたことを手帳につらつらと書いていった。大半は愚にもつかないことだけど、こうした時間を久しぶりにもてたことが嬉しかった。くるりは愛だ恋だを直接言ってこないので好きだ。その感じははっぴいえんどに似ていると思ったけどどうだろう。古い街で自分が大学に通っていたらどうかなと考えた。頭の中もトリップだった。遠い道行を全身で味わっていた。

 

僕の住んでいた街(初回限定盤)

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