船を出すのなら九月
ここしばらく、毎日のように昔のことを書いている。と普通の日記を書きたくなったりしてね。
昔の恋人のことを思い出したあと、神様の隣にもぐりこんで眠るのはすごく変な感じだ。自分の世界にいなかった人が急にあらわれる。記憶は反芻されすぎて、いびつな形にすりつぶされて、一部は吸収され、一部は肥大化している。思い出なんてそんなものかもしれないね。
今日は実は駅前でシェフに会ってしまったのだった。職場でたまに見かけるけど、そういえば普通に街中にいることもある。音楽をきいていたので、手を挙げて合図されるまで気づかなかった。黒人のミュージシャンが大きくプリントされたTシャツを着て(十年以上着てるんじゃないだろうか)、顔は思ったより黒かったけど、日焼けかお酒ののみすぎか。顔がむくんでいたみたいだったから、飲酒の名残の可能性が高いと思った。
こんな記事を夜な夜な書いてるから、電波みたいなもので呼び寄せてしまったんじゃないか。普通に挨拶をしてすれ違った。思ったより心は平静だった。これも、文字にして吐き出している効果なんじゃないかと思った。できることなら、会いたくはないのだけど、平静でいたことに安心できる自分がかわいく思えたので、まあいいかと思った。
そのあとも歩きながら、現在のシェフの挙動がかわいいものだと、母親のような目線で思えれば、すべてが解決するのではないかと思った。距離があって、ものすごく広い心でみれば、そういうとらえ方も不可能ではない。たぶん。でも、現状はシェフが引き起こすもろもろをかわいいと思えることはないし、甘さをみせればみせるだけ、損をするというのが共通認識だった。残念。第一、誰も彼の母親になりたいわけではないしね。本当は、赤の他人になりたいのだ。
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船がテーマの曲を何曲かきいた。いろんな船がいろんなものを運ぶ。出立は勇気。旧弊からの脱出。乗るか乗らないかは、旅人次第。船は旅人を愛している。落ち着いたら連絡するよ。日々旅にして旅をすみかとす。日常と旅はなめらかにつながっている。