紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


アリの目線、クジラの目線、地蔵の目線

日記ってやっぱり難しいとなんかまたはじめに立ち返る。

細かく細かく記述するのもあこがれる。なにを食べて、天気がどうで、こういうことがあって、こう感じた。繊細な心情を書き連ね、詳細な描写は尽きずに続けることができるだろう。いや、でも、キリがない。万全を期すには、PCとつねに向かい合い、一秒一秒を記録しなければならない。それでも追い付くことは不可能だ。この行をタイピングしているわたしに追いつくことはできない。追いつくころにはそれは過去になっている。それでは、「アキレスと亀」。

それではと、おおざっぱに書いてみる。食事をとりました。天気は晴れでした。人と会いました。楽しかった。うーん、ざっくり人生のはじまり。でも多分、こういう人は日記を書いたりしないだろうな。

重要なのは書いてる人に(それぞれの)アタマがあるということ。なにを記載して、どのくらい細かく記述して、どうまとめるか。ちょっと盛ってオチをつけたりするかもしれないし、ありのままでオチなしでいくかもしれないし。これがすべてのミソだし、無意識だし、個性だなとなんかたどりついた。仕事中。

身の周りのことを書こうと思ったりするけれど。知り合いが読まない限り、わからないと思う。インターネットの匿名の文章なんて、基本的には、「知らないだれかのこと」だから。せいぜい、同じ国に住んでるなぁーくらいでしょ。関係者が読めばわかる、ってどうなんだろう。自分が関係者なんて誰がわかるんだろう。「自分のことだ!」って信じ込んでも、全然違うかもしれないし。実名とか地域とか具体名を出さなければいいんだろうか。(特定の)実在する個人の話ではなくて、自分の世界とは地続きだろうどこかの話。日記が物語になる瞬間がどこかにあるんだろうか。どっちでもいいならば、わたしは「ある」派で、その瞬間を探したいと思っている。って思った。仕事中。

帰ったら神様が本格カレーをつくってた。

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あ、はい。

バターチキンカレー。スパイスの本とか買ってたからやばい。ゴーヤツナタマネギのサラダ。ひじき煮物。ピクルス。松屋にならって、カレーのときもみそ汁がつきます。