紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ぼくらが旅に出る理由

お正月はおわり。実家をあとにする。
高い山の視界。都会に近づくにつれ、空のみになり、それも狭くなっていく。
地元は内陸部なので山あり川あり自然あり、ほかはなーんもなし。ではあるが、わたしはその風景がすきなのだ。今回思ったのは、地元の山は高いということ(当たり前だけど)。見下ろされて、圧倒的存在に気圧されて、そんなもんが人間なんだなぁと思った。のさ。都会の建物も高いけど、しょせん建造物だから。
地元の風景はすきなんだけど、地元の人間はあまりすきでないなぁということも。思った。なんでかね。はっきりしてるような気もするけど。

ここまでを帰りの車中で書いてそのままにしてた(そんな記事がまだよーさんある)。たったの300字くらいなんだけど、スマホでぽちぽち記事を書くのは大変。大儀である。
とはいえ、前エントリなんか(そして当エントリも)PCで打ったら止まらなくなっちゃって、長い記事になってしまった。
どちらにしても、あとで推敲するのだけど、入力の媒体によって文体は変わるんと思う。ケータイ小説とかあったけれど、読む方法だけじゃなく、書く方法も違うんだから、従来のものとは別物なんだろうね。
ウェブログも、たとえばアメブロの文体、はてなの文体ってあると思う。どのブログサービスを使うのも自由。のはずなんだけど、その実みえない階層っていうと語弊があるんか、分断があるの。現実といっしょだわ。って話が横道にそれてしまう。またの機会に書く。書けたら。

実家で家族と話していた。音楽や小説の印象みたいなどーでもいい話題だったんだけど。
「理系の小説と文系の小説がある気がする」みたいなところで、きいてた母親がかみついてきて。
いろいろ言ってたんだけど、要は「人間を文系とか理系に分けるという発想が非合理的だ!」みたいな。

そうか。そうか? そうなのか? わからない。非合理なのかもしれない。
そもそも「文系/理系」って何だ? みたいな話になるんだろうけど。

でもその話の着地点はともかく、唐突に、挑みかかるような口調で、その会話そのものをかき消してきたのがとても嫌だった。
家族は「はいはいそーですね。それでいいですね」っていなして、そこで話は終わったんだけど。満足そうな母。フンッって勝鬨の鼻息がきこえる感じ。感じ悪っ。

でも。そう。そうなのです。母はそういうところがある。そういう人なんである。
わたしは実家を出て十年くらい。年に数度帰るだけなので、帰るたびにお客さんとしてちやほやされてるから忘れてた。実家の家族は、時たま起こるこのヒステリーのようなものを日常として対応しているんだろう。慣れてるんだろうな。
そんで、自分もそういう会話や考え方をしていないかって振り返って。まあ家族だし、自分もそんなところはきっとあって。でもそれを日常にしたくない。それは「嫌なこと」なんだって、感じられる位置にいたい。

たまに何もかも厭になって実家に帰ろうとか思うこともあるのだけれど。でもやっぱ帰らないのはそういうところが嫌なのだ。地元には帰りたいけど、実家ではないな、とか。
細かいことをいえば他にもあって、実家なんてものは適度な距離があるのが一番なのだというところに落ち着く。

実家が身体化される前に帰らなくては。

っていう一文も、車中で書いていた。
身体化されると、わたしも嫌な実家の一部になってその中で生活する羽目になるのだ。時おり帰る実家は暖かくて楽ちんなのだけど、やっぱそこには住めないなって再確認してしまった帰省だった。よ。

さて平常運行。戻ってから十日はたったけど。

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とはいえ、読者を想定するとうけ狙いに走ってしまうきらいがあるので自制しなくては。。
そんで、元カレどろどろ編はじめるよ! と思いつつ当該エントリが夏から下書きに入ってる状態。読んでもらいたいのか読んでもらいたくないのかわからなくなってきますが。無意識と相談しながらやっていこうと思います。