紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


いつかドナルドになる日

妄想力はあるのに想像力が足りない気がする。
そのふたつ、どう違うのっていわれるとよくわかんなくなっちゃうけど。
友人でも知人でも職場の人でも、だれかの話をきいて状況とか感情を想像して理解しようとする。わりといい線で妄想できてると思うのだけど、そこで止まってしまう。遊びのレヴェルというか。
一歩踏み込んで現実に近づけて、それで想像「力」になる気がする。そこまでしないと役には立たないんだ、妄想ってやつは。そんな気がする。

このウェブログをはじめて、他の人のブログを何件か購読してみている。
いまのところ20代女性のブログばっかり。
その人たちの生活は共感できたりできなかったり、そんなことあるんだって思ったり。そんな中でふと、書き手の女の子に同一化する瞬間があったりして。
名前も顔も知らない彼女らはわたしである可能性もあったんだと思って。不思議な連続性の上に生きている。これも妄想なのかしら。妄想でとどめないでなにかに繋げたいけどそれがなにかはよくわかっていない。想像力への翼がほしい。

前回のエントリとか、ネガティブな話題が多いなと思うけど、わたしの生活が楽しくないわけではなく、ほかでは言えないことって思うとそんなことばかり書いてしまう。
楽しいことがあっても記事につながるモチベーションまでならず、週末に「今週の嫌なこと!」みたいなエントリを流してしまう。
たいして誰も読んでるわけではないけど(それが救いでもあるし)、書いておいておくだけでかなりスッキリする。
前エントリのことについても、まあなんでもいっか! って思えてきている。そんなことより自分のこと考えた方が100倍いいし。
書くことで昇華されるし、なんなら一歩すすめて、昇華されるための文章を書いていくべきなんじゃないかなと思う。
個人的な「妄想」じゃなくて、うまい「想像」ができるようになりますように!