紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ゲーム

ペルソナ5をクリアした。同居人が。わたしは横でああだこうだ言いながら編み物をしていた。アクリル毛糸の束子いくつかとこげ茶のネックウォーマー2が完成した。ほんとうはスヌードらしいのだけど短めにしてはじめと終わりを接いだ。輪編みだとこうはいかない。その前に編んでいたネックウォーマー1は長さが気に入らなかったのでほどいて毛糸にもどした。

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※クオリティがまだまだなので家で自分がつかう予定

ゲームはすごかった。長かったけどストーリーがちゃんとしてたし、そしてめちゃくちゃおしゃれ。ジャズっぽいミュージックがずっとかかってて、女性ヴォーカルなのBGMが。カフェか。物語は序盤の高揚感、終盤の閉塞感、続きがずっと気になって、終わってみればジュヴナイルだったなぁという感じ。叙述トリックみたいのとかメタっぽい要素もあって、小説読まされてる感じはあった。自由度はあるんだけど基本は一本道というか。80時間。ゲームで80時間……。二時間映画だったら40本。最近はパズルばっかりだからこの時間数には恐れ入る。RPGってこんなものだっけか。

ゲームしているのを横で見ていると、この人こんな性格だったかというのがあらためてわかっておもしろかった。大ざっぱというか案外ざっくりとプレイするなぁ、とか。たぶんわたしだったらぜーんぶ集めたいところを適当に適当に面倒そうだったらいっか、みたいな感じで攻略サイトもほとんど見ていなかった。それはそれで好もしいとか思ったのだけど、それでもろもろ見逃したとして、ちゃんと全部見るためにもう一回、もっと丁寧にプレイするの80時間??? と思うとひぇぇぇぇ、、である。

さて編み物。新たに毛糸を買はむとて出かけて、安い毛糸もあれば高価い毛糸ももちろんあって、ひと玉数十グラムで何千円みたいな毛糸を見つけてはうーん趣味の世界だぜとか思いながら、手づくりってけして安くなく、こだわってちゃんとやろうと思うとお金もかかるし技術もいるしうまくいかないかもしれないしで、既製品でプチプラでぱっとデザインが好みだったらそれを買うのがどれだけお手軽か、というようなこと。

それは考えることを放棄している、なんて知ったようなことを言うつもりはなくて、自分でできるものは自分でなんとかしよう、ということなんだろうか。好みの素材で好みの色で好みのサイズで好みのデザインでできることはできるけど、編み物にかぎっていえば編み目は不揃いで目もたまに間違ってるしクオリティが高いとはいえず、自己満足だなぁと思ったりする。既製品やっぱり好きだし便利だし、でも少しでも好みじゃない部分を我慢して買ったりはしなくなるのかも、と思っている。

手作りは貧乏くさいとか手編みは重いみたいな風潮があるの、多くの人が共有しているのだろうか。個人的には少女漫画が醸成した価値観なのではと思っているのだけど、一般的なものならばそれにあわせて行動というかアプローチを変えたいと思う(なんのアプローチなのか)。そういう常識みたいの、自分が思ってることを人々も思っているのか、人々が思っているものを自分は知っているのか、の二点が気になりはじめて止まらなくなってしまう。それ自体無意味だなぁとも思うけど。知ってどうなるわけでもないけれど。

そうそれで、手づくりに対するバッドなイメージ(もしあるならば、だけど)は、クオリティを上げることでほぼ解決するのではと思う。その一方で自己満足であるという点を軽視してはいけないという気もする。小さいときに着てた服なんてぜんぜん覚えてないけれど、母が編んでくれたチョッキの色、ベストの色はなぜか思い出せるんだよね。