紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


生活

生活。せいかつ。わーい生活。せいかつじゃ。落ち込んだり、元気になったりしながら生きている。生命活動を略して生活なんだろうか。生涯活動かもしれない。生体活力かもしれない。

同じ日が薄く積み重なっているように感じ、また同時に一週間前が遠いような気もする。自分の中で時間が伸び縮みしている。同居人が怪我したのがずっと前のようだった気もするし、ずっと "一週間前" のようにも思える。雨が降っては蒲団を少しずつ増やしながら、日中の暑さに参ってたりする。ごまかすようなゆらぎの秋だ。もう秋だよね? 秋の服は(春の服も)一瞬なので、着るタイミングを見逃さないようにしなくては。

消費税が上がりましたね。何か買い物した? っていうマジでしょうもない質問を半笑いで流しつつ(その理論だとこの先一生分をまとめ買いしなくては)、欲しいものがないわけではないけれど、そうしないと損、みたいな脅迫的消費者心理がやりきれず静観を決め込んでしまった。とかいいつつ、前から欲しかった醬油差しを買った(買ってる)。

https://www.nakagawa-masashichi.jp/shop/g/g4547639475473/(紙箱入りもあるらしい)

醤油さしにしては高いんだけど、まじで液だれしなくてなんなのって思っている。

とりあえず悩みごとをきいてみたのは、色々うまくいってなさそうで、同期ながら自分がアドヴァイスできるんじゃないかと思ったからなんだけど、そうしたら全然想像しなかった悩みが出てきて、しかもちょっとアレだったので、わたし(たち)と見えてる世界が違うのだと思った。その主観は否定したくなかったから一所懸命きいたけど、全然アドヴァイスなんてできなくて、ていうかそんな次元ではなかったと打ちのめされた。自分の思い上がりと烏滸がましさに驚く。無力感。世界っていろんなことがあるね。

ゆずれない土日

うー。九月がすぎていく。今週末も頭がぼんやりしているが自分で詰めた予定のせい。「休む」の予定の入れ方を自分に教えなくては。もしくは仕事の日の休息の質を見直す、など。仕事について、好きすぎて毎日働けちゃう、みたいな忠誠心もあるだろう一方で、わたしは休みたいときに休める、のが大事だ。土日も休みたいけれど、平日休みも好きだ(ここはつきつめると "毎日休みたい" になっちゃうので目を背ける)。ゆずれない土日(または平日)を休めたらもうあとはいつだって出勤しますの気持ち。以前は休日のたびに、休日が楽しすぎるから仕事をやめたいと感じていたけど、こんな楽しい休日があるんだから明日もまあ働くか―にシフトがチェンジ。好きなことばっかりやってても、仕事やめたくなるわけじゃないよなーと思う。年々じぶんのことがわかるようになっていて、それはよいことだ。物忘れとか言葉が出てこないとかも嫌になっちゃうんだけど、人はそんなにたくさんのことを持てないしなーと思い、むしろあれもこれもみんな忘れられていくという事実が気楽だし、それ前提でもろもろやっていこっ、ってなっている。

同居人が怪我して帰ってきて、薬とバンドエイドの係になった。事故が起きると身体と精神が硬直して、なにもかもやる気が起きずに流してしまうの、ちょっとわかる。わたし(第三者)としてはちょっとどうなのという対応でも、褒める、というのはおかしいけど愚痴をいったりしないようにしている。小言を言われて次の気を削いでしまうのはよくない。数日経って身体が痛み出したそうで、整形外科に行ってほしいが、言えば言うだけ行きたくなくなる人間には、行ってほしいと伝えるにとどめる。けっきょく人は自分の意志でしか動かない。翻れば、自分が納得してることはするということで、そういう気持ちをくすぐっていきたいと思ってはいる。でも、自分がそう考えるからといって、他の人にもその対応を強制するのはトーンポリシングなのかーーーという惧れも。世界はややこしい。人間もややこしい。怒りを笑ってはいけない(悲しみも)。と手帳に書きつけてあった。途中から話が変わっている。