紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


6年間の思い出

きもちが今わりとエモの方にいっているというか、細い糸の上にいるみたいな感じで些細なことで心がきゅっとする。涙ぐんだりする。この甘酸っぱい感じ、嫌いじゃないというかむしろ好きだけど、ふと我に帰ったときにつかれたなと思ったりする。こころがふるえるのはつかれる。

去年もたぶんおととしも? 行った音楽のライブに行って、それはもうふるえてふるえる音楽なのだけど、前回まではそれに時間や物語がとじこめられているように(それが解放されたように)思ったのだけど、今回はただただ現在、を思った。その人たちが、わたし(たち)がいるこの空間、を、音、が、揺るがしていく、ただただそのうねりだった。うまく没入できなかったともいえるが、でもなんか新しいことが起こりかけているのかもしれないとか思った。

音楽と関連づける必要はないけれど、ふと思い出したのは小学校の卒業文集のことで、ひとり1ページのノルマがあたえられていて、好きなことを書くのだけど、みんな、30人だか40人だかが2,3のタイトルのどれかを書いたことを思い出した。「6年間の思い出」とか「運動会の思い出」とか。題材を指定されたおぼえはないし、題材が決まっていても題名は変えていいはずで、自由とは!!! と思ったのだった。わたしはひとりだけ「図書館」とかそんな感じのことを書いたはずで、上手に書けた記憶もないし、「6年間の思い出」にしとけば悪目立ちもしなかったろうなと思いながら、なじんでないクラスになじんだふりをしなくてよかったし、けっきょく感じた違和をやり過ごしてなんていないんだった(でも、なんでも飲み込んでいるような気がしているのはなんでだろう)。まあでもそういうところだよね。言えよーということなんだろうな、っていうのは伝え方の話。ネクラにできる反抗なんてそんなものだったと思いました。明日こそはM-1のこと書きたい。

供養する

ほんとうはM-1の話をしたいと思いつつ今度にする。冬のパジャマを出した。まだいけたけど、無理に耐える必要はない。前回の冬はまだいけると思っていたら湯たんぽを出すのが遅れてあまり楽しめなかった。寒いけど冬は好きだ(暑いけど夏も好き、と思ってもいる)。暑いと体調がよくないので、夏も好きなんだけどやっぱり冬の勝ちだ。それで、季節が冬にしずんでいくのをマフラーぐっと巻いて受け止める感じだ。今日自転車に乗っていたら、いつもの道の紅葉がきれいで、あ、秋、と思いながら、風が吹いて信じられないくらいの葉が舞い落ちてくる。映画じゃんと思いながら、たくさんの秋が力つきている。先日の登山で2,000m超では葉は落ちきっているし雪はあったしで気持ちは冬になっていたのが記憶にあって(中途はまだ紅葉だったけど)、あらためて秋を突きつけられて少し混乱する。街は、秋、です。でもここまできちゃうと虫の息というか季節を感じるのはこっちが一歩先を読んでいないといけない気がする。気づくといってしまっているから。なんだよー、気づかせてよーと甘えたい気持ちもするけれど。夜は別の道を走っていたのだけど、落ち葉、は少し前からあって、それに独特の匂い、銀杏がくわわる。大将の首って感じだ。におうってことはあらかた踏まれ終わっているのだし。それで落ち葉も何度も踏まれ続けて地面に同化しているようで、落ち葉で感じてた秋もだいぶ長かったなと思う。でももう終わりだから。冬ですよ皆さん。一歩先を読んでいないといけないのです。

ちょっと恥ずかしいしつらいことを書く。理解されない人生だと昔から思っていて、これは本当に保育園のころから思っており、いつかは理解されるだろうと思ってもいた。年を追って、少ないけれど友人もできた。とてもいい感じの同居人もいる。でもそれ以外には理解されないなーと思っていた。それは自分、とかその思考が上だから、崇高だから、みたいな理由付けをして、とくに疑わずここまで来たけど、来てしまったけど、単純に、伝える工夫を怠っていたのではないかと思った。急に思ってしまった(し、たぶん当たってる)。思考の貴賤(そんなのはないと思いますが)は置いても、そもそも届かないものを理解も無理解もできなくて、急に届いた謎の箱を開ける/開けない自由は届いた方にある。それを理解されないと思っていたら(思い込んでいたら)めちゃめちゃ滑稽だった。まず開けてもらう工夫をすることが、必要なんではないかなと思った。思った。思った。きゃー。

これは全然違う話だけど(でも関係あるかもしれない)、コミュニケーションで後手にまわることが多くて、相手の出方をうかがってから手を決める、みたいなの、もちろん戦略としてあるし、無駄手を踏まなくて済むことも多いけど、相手の出方をうかがってるうちに、相手が自分(相手)を相手(わたし)に映し出すのか知らんけど、高めの理想をあげられたり、話をきいてただけなのになぜか怒られている? みたいなことがあり、相手によっては危ないこともある気がした。それにしても先手をとる経験が少なすぎてどう動いていいのかわからないけどね。毎回先手をとらなくてもいいんだし。しかし、数少ない先手の経験は大体いい結果になっている記憶がある(ような気がする)ので、それについてはポジティブだ。意外と先制が合ってるのかもしれない???

さっき思いついたことを書いて、今日のうちに供養する。恥ずかしかったけどそんなにつらくなかった。事実だという気がしたので(mmm...)。ブログのことはわりと無条件に信じているところがあって、ブログ関係で知り合った人はこのめんどくさい文章を読んでいる(らしい)ということで無条件で(有条件では?)好きです。でもべつに読んでなくても好きです。おやすみなさい。