紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


生きている

はじめにコンセプトがあった。

 

ので、それを離れるのはいいのかなぁという気がしてしまうのんだけど、

 

つまり、顔のない人(たち)であろうとして、名前も場所もはぎとってしまって、

 

(そもそもそれが自分の自意識と相性がよかったのもあって)

 

どこにでもいる、どこにでもいない人、全体性と一回性の同窓会みたいな気持ちであったけど、

 

どうにもむにゃりむにゃりと、"わたし"が顔をもたげてきて、どろどろと滲み出てきて、

 

わたし、という一回性を社会に、なんておおげさでないけれど、捧げること、たまになら、相手も一回性を持つものなんであるし、別にいいのかなと思ってきた

 

というのが昨秋から最近にかけてゆっくりと考えたこと

 

(結論ありきという気もしないではないが)

 

わたしには身体があり、生きていること、実は生きているのだということ

 

いっとう拒否していたのは自分なのだからひとり相撲ではあるけれど、そんな気持ちであることです

あのアルコール

 

今やいろんな建物の入り口やトイレや要所要所に置いてあって、インフルエンザも活発でないこの時期もまだあって、潔癖症としては(シュッ)、たいへん(シュッ)、うれしい(シュッシュッ)。

なんだか手が汚れている気がする、汗ばんでいる、落ちてたからあげ拾っちゃった、みたいなときはワンプッシュ。効果の有無はさておくとして、気持ちがすっと楽になる。手が荒れるという人もいるけれど、今のところは大丈夫。ハンドクリームもあるし。アルコールが先かハンドクリームが先かみたいな疑問はあれどとりあえず困ってはいない。そんな感じで要所要所でアルコール、ときには戻ってアルコール、なんてしてみたりして、これはまるでRPGセーブポイント(昨今のセーブ事情とは若干異なる可能性もあるけれど)、現在の綺麗な状態を保存しておこう、みたいな。瀕死の状態でセーブする人はいない。

そうすると、もしかしたらなんだけど、潔癖症の人はゲームにおいて、セーブをめっちゃこまめにする。アイテムをとってはセーブ、買い物をしてはセーブ、装備が変わったからセーブ。逆にセーブを怠りがちな人はちょっとやそっとの汚れなど気にしない豪胆タイプ。失敗したら三時間遡ってしまい、後悔するけどなかなかセーブの癖がつかない困ったさんだ。やりなおしゃいーんすよ! 死にゃーしないんすよ! スナック食べた手をズボンでぬぐうよ!

っていうオチも何もないんだけど、潔癖症の人セーブしまくり説は合っているような気がするんだよなー。賛同や反証ありましたらおしらせください。かしこ。