紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


雪國

世界Aから世界Bに行くための準備というか通路というか期間があり、その間わたしは皆様の会話をじっと聞いていた。なんでこんなにすらすらと会話ができているのか不思議がり、しかしそれ以上なにかする気も起きなかったので目をつむっていたら少し寝ていたらしい。他人にかけるべき声が出てこないのは失語症でいいのだろうか。言葉になる前の言葉を含んだままたたずむ。一転、世界Bの人物になってしまえば言葉はすらすらと役割をこなせるのであった。さらにAの自分とBの自分の同一性がゆらぎ、あの自分はなんだったんだろうと考えてしまう。どう考えてもいまの自分が自分らしい自分であるのであった。なんて言いながら、そこには役割があるだけで自分なんて存在せんのだなと思っている。

テレビっ子再入門

 

実家にいたころは無暗にテレビをみていた記憶があって、とくにドラマをたくさんみていたなというのと打って変わって昨年テレビが家にやってくるまでは十年近くあんまりテレビをみていないんだった。PCでテレビを受信することの煩雑さもあるし、テクノロジーやばいの世紀であるから電波を受信せずともインターネッツでは多くの動画をみられるのであった。とはいえ、動画サイトでの視聴もここ五年くらいは積極的にはしていなかったのだ。でもテレビ。とりあえず連続ドラマをみたりして、知らない俳優さんたくさんおるけんね、ピースをうめつつ(といったってどこのピースなんだかわかりはしないけど)していたの。それからネットフリックス。をテレビでみられるの。なんかそういうの。便利なの。それで映画はもとより過去のドラマもラインナップにあって、少し前に『最高の離婚』を観ました。ここまで書くのに400文字つかってる。気にいったドラマの話する前に原稿用紙一枚分つかってる。それで、今さら『最高の離婚』かよっていうのもあって、現に友人にその話をしたらまじかよっていう顔をされて、それで何がよかったって、瑛太がめちゃめちゃよかった。というか瑛太の役がめちゃめちゃよかった。実際に近くにいたらウワッてなる分類なんですけど、でもそういうこだわっちゃう感じわかるという向きもあり、それを称揚も断罪もせず、ただただえがいているのがよかったよ。瑛太以外の他のキャラクターも固有の性格を持っていて、べつにそれをゆずらないんだけど、とにかく瑛太が突出していた。それで、このドラマは『カルテット』の坂元裕二さんの作品なんだけど(記憶に新しいですね)、『カルテット』から逆算して観ると、瑛太がひとり『カルテット』じゃんっていうところもあり、にやにやしてしまった。

最高の離婚』の前は『まほろ駅前』シリーズを映画とドラマを続けて観て、これもどれも面白いからお勧めしますけど、こちらも瑛太が出ているのだけど、こっちは松田龍平がめちゃめちゃいいです。軽薄な笑い、同居人も褒めていました(そういえば松田龍平は『カルテット』ですね)。『まほろ』シリーズの松田龍平と『最高の離婚』の瑛太、どっちもいいんですが、わたしがめちゃめちゃ惹きつけられたのは瑛太の方で、これはもうわたしが変わった人が好きという一点に尽きる気がしている。役だけじゃなくて役者が好きになっちゃってるもん。惰性で録画されていた『ハローハリネズミ』も観てしまうもん。瑛太だから(でもこれなら『まほろ』の方がいいなぁと思わなくもない。どっちも大根仁さんなんだけど)。

ということで瑛太がめちゃめちゃ気になっているんですけど、その後から観たものの意味が変わるというの、たとえば『最高の離婚』には綾野剛も出ているのだけど、『フランケンシュタインの恋』のフランケンおよび『リップヴァンウィンクルの花嫁』で仏壇の前で全裸になるイメージが書き換えられました。こういう感じでイケメン枠に入ったのだな奴はという感じ。同じ感じで真木よう子さんももろもろの映像作品からの情報が集まってきて像が結びつつある感じ。尾野真千子さんはまだちょっとわからない。ていうかわたしの思ってた尾野真千子さんと顔が違うので別の人なのかもしれない。だめね、情報蒐集やりなおし。っていう感じで1400字。あれから1000字もつづってみたけれど、なにもいってないのに驚くぜ。それで、ネットフリックスで『アオイホノオ』を見つけてしまったので次はそれをみようと思いまーす。以上です。