紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ズックにロック

 

信じられないほど忙しい日が幾日か続き脳がぼんやりする中で仕事をしながらあかんって思い、そのときはまたやめるやめるやめるやめるって頭の中をぐるぐるしながら、しかし笑顔をつくり、マスクとめがねで表情があまりばれないだろうのはラッキー。なのか????? 面談とかもあったけど、「がんばりたいと思います」って入社の面接で言ったの数か月前だよなとか考えながらいいたいこともいえないこんな世の中以下略。

 

世の中には「正しい」人間とか発達のかたちがいちおうあるらしく、わたし達のいるところが一応それを踏襲したり掲げていたりすれば、訪ねる人々もそれなりに背筋をぴんとして折り目正しい感じでいらっしゃるんだなーなんてことをあらためて思ってみる。その人の悩みごとの昇華のかたちが社会的に少しはずれていたりしたら、それはそれでお互いに受け入れがたいことでもあろう等。「合わなかった」と一言でいえばそうで、どこか合う場所が見つかっていればいいですねと会ったこともない人に思う。

カメラフルオブキスキスキス

小沢のことは確かに好きなんだけど、その流行った時期には全然ぴんときてなくて、SMAPとかをきいてたんだと思う。オザケンど真ん中世代とはおそらく少しずれていたから、かれらはおにーさんおねーさんなんだろう。と思って、だから音楽番組で小沢健二が歌っているのをはじめてみたのだけど、同居人は同い年のはずなのにちゃんと当時のおざけんを認識していて情報の差を感じる。ちゃんと街に住んでる人は違うのだろう。おざけんもフリッパーズもちゃんときいたのはここ数年なので(そして身も世もなくはまった)、音源をオンタイムでちゃんと買ったのもはじめてだった(早くアルバム出してほしい)。

昔の歌(僕らが旅に出る理由)と新曲をひとつずつやって、個人の感想ではあるけれど、昔のヒット曲を歌わせるの(自主的に歌ってる可能性ももちろんあるんだけど)、御無体なってちょっと思ってしまった。

しかし新しい曲の歌詞を目で見て、ははーんややこしく、2017年のおざけんが最初にみたオザケンだった人は、おざけんを王子様とはよべないんじゃないかなと思った。かれを王子様と錯覚できるのは(いい意味ですよ、錯覚!)、当時のキラキラを一身に浴びたものたちの特権なのですよ! 云々。

1998年の小沢健二に出合えなかったわたしは得をしているのか損をしているのか。それでも結局出合ってしまっているんだから、人生はそういうものって感じだね。